ベラルーシ ビレイカの新聞「川」から           
広河隆一 チェルノブイリ写真展
         ビレイカ郷土史博物館にて 2006年7月19日〜9月末


私たちはまだ事故の全貌を知らない・・・

「“子どもリハビリセンター・希望21”のおかげで、わが町でこのような写真展を開催することができました」館長のラツコ・ワレンチーナは述べた。また、オープニングに招かれた「希望21」の職員は、彼らにとって重要な人物である広河隆一氏について語った。

広河氏はチェルノブイリ事故の被害者救済に貢献をしたとして、1999年ベラルーシ共和国フランツィスク・スコリナ勲章を授与された。まだ事故のことは厳しい検閲の下にあった1988年、彼は立ち入り禁止地域に公式に入ることができた最初の一人だった。放射能汚染地域の住民の取材、撮影を続けるうちに、放射能測定器や医薬品を持参し、被災者への支援活動を始めるようになった。
そして1991年、日本で「チェルノブイリ子ども基金」を設立した。以来ずっと「子ども基金」はセンターの子どもたちの保養と、病気の子どもたちへの支援を行なってきた。

日本人ボランティアがセンターを訪れ、「日本週間」を開催したり、世界的に有名な日本のオペラ歌手を招いてのコンサートや日本人彫刻家のコンクールを開いたりした。そのコンクールの優勝作品は今もセンターに展示されている。チェルノブイリをテーマとする彼の写真展は、すべてそれら一連の崇高な活動の結果である。写真展は、すでにミンスクとゴメリで開催された(06年4月)。その後センターで展示され、そこからわが町の博物館で展示されることとなった。

写真家は、カメラのレンズが冷静な真実を表現するその恐ろしさを、見るものに少しずつ受け入れる覚悟をさせているかのようだった。展示作品の一番最初に置かれているのは、『広島原爆ドーム』と『原爆の子の像』である。それは日本人が私たちの不幸をとてもよく理解していることを示している。
彼らは私たちよりずっと以前にそれを経験してきたのだ。原爆症に冒された日本の少女・禎子が、生きることを願って千羽鶴を折った物語は、今でもベラルーシの学校で子どもたちに教えられている。

展示作品はすべて20年の長きにわたってチェルノブイリ地帯の悲惨な事故と、今日の状況を反映したものである。痛みや喪失の涙、別れを表現したものがある。特に家や村の崩壊の写真が強い印象を与えている。以前ここにはすべての日常や幸せな生活があった。チェルノブイリは今や普通名詞になってしまった。悲劇のシンボルである。 [要約]

※ビレイカ市は「子どもリハビリセンター・希望21」から車で40分ほどの場所に位置し、センターの職員や家族たちが暮らしている。センターでの写真展に感銘を受けた職員が町の人たちにもぜひ見せたいと願いでたことから、この写真展が実現しました。


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