私はこの21年の間、チェルノブイリの周辺についても取材をしてきました。今日はその映像をお見せして、これはチェルノブイリだけの問題ではなく、すべてが関係しているということを知っていただきたいと思います。また、チェルノブイリについても見ていただきますが、そこで注意してもらいたいことは、日本人がチェルノブイリやその周辺の問題にどう関わってきたかということです。それでは、ビデオをお見せします。
【映像】
1. チェルノブイリ 広島の医学者である重松逸造氏がIAEA事故調査委員会の委員長となったが、調査は十分に行われなかった。その後、委員会はチェルノブイリが安全であることを発表し、現地の人たちを唖然とさせた。
2. ロシア南部 91年4月「ウラル核惨事 今、明るみに」より。ロシア南部では核廃棄物の爆発事故が当局によりずっと隠されていた。
3. アメリカ 「スリーマイル 15年目の真実」より。アメリカは、事故から15年、原発当局とアメリカ政府は、被害がまったくないことを言い切った。その根拠として挙げられたのが、ペンシルバニア州保険局の調査。その調査の責任者は当時、疫学調査局長だった日系一世のジョージ・トクハタ氏であったが、トクハタ氏の調査は住民数を水増ししており、捏造されたものだった。
4. チェルノブイリ 94年6月「チェルノブイリ報告」より。
5. イギリス 94年12月「核再処理施設へ潜入」より。セラフィールドに日本から船で運ばれてきた使用済み核燃料もここで処理されている。施設から出る廃液はアイリッシュ海に排出され、海が汚染されている。施設周辺では白血病患者が急増した。
6. アメリカ 95年1月「核爆弾製造施設へ潜入」より。(1)ハンフォード。長崎に落とされた原爆はここで作られた。現在、大量の核廃棄物の処理が問題となっている。この施設周辺でもがんと白血病の患者が急増し、放射能被害の調査は住民に隠されつづけた。(2)ロッキー・フラッツ。施設からは大量のプルトニウムが漏れ出した。周辺はいま新興住宅地となっている。(3)サバンナリバー。この施設でも放射能漏れが発生。やはり施設周辺では汚染と被害が広がっている。
7. 96年4月「徹底検証!隠されたチェルノブイリ」より。ナジェジダ21に保養に来る被曝した子どもたち。
【講演】
これらの映像を見ると、いま日本で取沙汰されている原発から生み出された廃棄物をガラス固化体にする問題や再処理工場、六ヶ所村の問題などが、どんなふうに進められようとしているのかが、外国の例を通してよくわかると思います。それと同時に、すべての場合で原発が核開発とセットになって進んできたという事実もわかると思います。核爆弾の製造工程で発生する熱を利用してタービンを回し、電気を作ることで、核爆弾の開発コストを下げようとする意図がありました。原子力発電所はここから生まれてきたのです。
原爆と原発はその開発において互いに関わりあい繋がっていたのです。今度は日本の原発の写真を少し見ていただきます。
【スライド】 高浜原発 大飯原発 美浜原発-/福井県
高浜原発のすぐ近くでは釣りをする人の姿が多く見られました。また、大飯原発周辺の村には避難道が一本しかありませんでした。事故が起きた際には、そこが封鎖され、人々が隔離されることになると思います。美浜原発は村や海水浴場がすぐ向かいに隣接しています。観光客を呼ぶために撮られた海水浴場の宣伝用写真からは原子力発電所の姿が消されていました。
先日、招待されて台湾に行ってきました。台湾には日本の原発が輸出されていて、その原発が現在建設中なのです。建設現場に着くと、いかに原発が安全かを地元の人々に説明するための施設がありました。そこでは、日本の原発が事故を起こしたことはなく安全なものであって、あなた方がそれを不安に思うことはまったく間違っている、というようなことが係員によって延々と説明されています。我慢しきれず、私は途中で立ち上がり、日本の原発がどんな事故を起こしてきたのかを、視察にきていた大勢の地元の人たちの前で話しました。
日本はいまでは海外に原発を輸出する輸出国になっています。国内では制御棒が抜け落ちる事故さえも隠しておいて、国外では日本の原発は事故もなく安全であり、心配はまったくいらないということをだけを言い、原発建設を進めているのです。日本は広島と長崎に原爆を落とされ、核の被害者というように言われつづけてきましたが、今はどうでしょうか。見ていただいた映像のなかにありましたように、調査団のリーダーになって、チェルノブイリで、チェルノブイリは安全だと言ったのが広島の医学者でした。それから、スリーマイル原発の事故でも、数字を捏造することで事故の影響はないと発表した調査は、日系一世の研究者によってつくられていました。そうして日本はいまや、広島や長崎を背中に背負いながら、放射能は心配ありません、原発も大丈夫です、ということを言う国になったのではないでしょうか。
私はチェルノブイリで、原発の爆発する様子を見てしまった妊婦のお母さんを取材しました。そのときお腹にいた赤ちゃんは今年、事故から21年がたち、21歳になります。そして、その21歳の彼女にもまた、現在、体のいろいろなところで腫瘍が発見されています。いま、日本や世界には、チェルノブイリの事故のことを、被災者の子どもたちの存在を、病気のことを、すべて忘れてしまおう、なかったことにしてしまおうとする恐ろしい動きがあります。しかし、それではいけないのです。チェルノブイリの事故から21年が経つけれども、それらはなかったことにしてはいけないのです。体のなかに放射能を抱えた人たちは、本当に苦しみながら、いつ放射能が牙をむいて病気として発生するかもわからない状態で、隣の家の人が死んでしまった、上のアパートの人も先月死んでしまったというニュースを聞くたびに大変な不安とたたかって、そしてこの21年目を迎えようとしているのです。
もちろん、当事者たちは事故や病気の苦しみを忘れなければ生活していけません。しかし、それを当事者でない私たちが同じように忘れていいわけではないのです。それらを忘れないように伝えていかなければなりませんし、伝えることによって救援をしていくことが、私たち自身が生き延びることと同じであると考えなければいけないのです。私たちが他者であってはいけないのです。
事故や戦争に対し目をふさいでいた方が私たちは気持ちが楽ですが、世界のなかでは、隠され、手を差しのべられず、いなかったことにさせられている被害者たちが、その間にも次々と死んでいっているのです。原発や戦争はその放射能によって、その爆弾によって人間を殺しますが、私たちはその沈黙によって人間を殺してしまう、そういうことを忘れてはいけないと思います。どうもありがとうございました。
(4・21セシオン杉並 講演より)
〔注〕映像&スライド講演に先立って、ドキュメンタリービデオ『チェルノブイリの真実』(広河隆一監修・撮影96年制作60分)を上映しました。