寒い寒い、と震えていたかと思うと、真夏並みの30℃を越す暑さになったり、ベラルーシの5月は気温の幅がかなりあり、予測のつかない時季です。恒例のお湯供給停止が始まり、学校では学年が終わって3カ月の長い夏休みに入り、大人もそろそろ「いつ夏休み?」という会話を交わすようになるなど、気分はすっかり夏です。郊外にダーチャ(土地付きの家。内容は物置程度からガス・水道など設備の整ったコテージ風まで、さまざま)を持っている人は、週末毎に出かけ、夏の収穫に向けた畑仕事を再開する時季でもあります。畑仕事にとっても、夜中の気温が氷点下まで下がる日があるかと思えば、暑さで雑草が一気に繁ったりと、変動の激しい天気は悩みの種です。
さて、今年5月には、ベラルーシと日本の交流に関連した行事がありました。日本の仙台市とミンスク市の姉妹都市交流が35周年を迎え、仙台市の代表団を迎えての記念行事が行われたのです。姉妹都市交流はベラルーシの地方都市でも行われており、複数の姉妹都市をもつ都市も珍しくありませんが、日本の都市とでは、旧ソ連時代から続くミンスク・仙台のみです。首都ミンスクは、イギリスのノッティンガムやアメリカのデトロイトなど、他にも幾つかの姉妹都市をもちますが、中でも仙台との関係は毎年、人的交流があるなど、活発に続いているようです。
ミンスクの中心部には、「センダイ」の名をつけられた小さな広場が存在し、5年前の姉妹都市交流30周年の際には、この広場に仙台市から時計が寄贈されました。また、市内の通りを「ミンスク・仙台姉妹都市交流30年」と書かれたバスが走っていたのを記憶しています。35周年の今年は、当初の予定より人数は少なかったものの、日本から大学生の合唱団がミンスクを訪れてコンサートを行ったほか、仙台から桜の苗木が寄贈され、センダイ広場で植樹式が行われるなど、代表団滞在中は「仙台週間」と名付けられた盛大な記念行事が行われました。桜の植樹にはマスコミのほか、一般人なども数多く見物に来ていたようで、大変な人だかりだったそうです。また、市内の目抜き通りにも日本語の入った仙台週間の横断幕が貼られるなど、ミンスク市の歓迎ぶりには目を見張るものがありました。
こうしたミンスクの状況をみるにつけ、やはり気になってしまうのが、日本側はどの程度ベラルーシのことを認識しているだろうか? という点です。恐らく、仙台市では、ミンスクとの姉妹都市交流の事実が、一般市民にそれほど知られていないのではないかと思います。
ベラルーシの地方都市で行政関係者に会うと、「日本の都市と姉妹都市関係を結びたい」という声もよく耳にします。もちろん、日本とベラルーシは地理的にも遠く、何より経済水準に差があるため、そう簡単に対等な「姉妹」の関係になることはできないでしょう。しかし、何よりもまず、日本の地方行政府や一般市民のレベルで、ベラルーシの認知度がまだまだ低いという事実を認めなければなりません。ベラルーシで、日本という国を知らない人はいないでしょうが、日本でベラルーシのことを少しでも知っている人がどの程度いるでしょうか。ミンスクで暮らしている私は、日本について過剰なまでの賛辞を耳にすることもしばしばですが、逆に日本に居るベラルーシ人は、自分の国に対する日本人の認識の低さに、寂しい思いをしているのではないでしょうか(日本からベラルーシ宛に郵便を出そうとして、どこにある国か、すぐに分かってもらった試しがありません)。
ミンスクのセンダイ広場に植えられた桜の苗木が順調に育ち、美しい花を咲かせてくれるよう祈る一方で、ベラルーシの日本に対する一方的な片想いの現状が、両想いに近づくためには、ベラルーシの優れた点、日本人にアピールする点を探し、それを知ってもらうことが必要だと思います。まずは、ベラルーシの人々自身にもう少し努力してほしいものですが。
(花田朋子 ミンスク在住)
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