チェルノブイリ22周年救援キャンペーン

その2 「みえない雲」上映会


前号でお伝えしましたように、今年のキャンペーン取り組みの一つとしてドイツ映画「みえない雲」上映会を企画しました。表紙に掲げましたように、3月に横浜、4月に東京で上映します。福島の市民団体、首都圏の生協、大学などから問い合わせがあり、検討中です。ぜひ、みなさまのまわりでも上映会をご検討くださいますよう改めて呼びかけます。上映の費用、チラシなどについて相談にのります。事務局まで気軽にお問い合わせください。(tel&fax 03−5228−2680)

<池田香代子さんからのメッセージ>

原題はただの「雲」。しかし、ただの雲ではない。事故を起こした原発の方角からやってくる、放射性物質に汚染された雲だ。映像では、パニックに陥った人びとの頭上にいまにもおおいかぶさろうとする、黒ぐろとした雨雲として描かれる。それは、真の主役はこれだったのだと、タイトルを思い出して震撼させるにじゅうぶんな迫力をもって、美しい田園のかなたから迫ってくる。それが邦題になったとき、なぜ「みえない」がついたのだろう。

物語の舞台は、ドイツの田舎町。高校の授業中、突如としてサイレンが鳴り響く。ABC兵器にかかわる緊急警報だ。ABC兵器とは、核兵器、生物兵器、化学兵器のことだ。ドイツはいったいどこからABC兵器で攻撃されると怯えているのだろう。その疑問は、原作が書かれた時期を知れば氷解する。それは1987年、いまだ冷戦体制にあって、旧西ドイツ全土にはアメリカ製のミサイルが、まるでハリネズミの針のようにおびただしく配備されていた。旧東ドイツしかり。米ソの核の応酬が始まれば、まず東西ドイツが、それぞれ相手からいっせいに発射される核ミサイルによって、両大国の身代わりとして差し違え、滅亡すると、広く信じられていた。

そしてまた1987年は、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所4号炉がメルトダウンしたのち爆発し、旧西ドイツにも達する広い範囲に放射性降下物がふりそそいだ1986年の翌年だ。旧西ドイツでは、若い人びとが子どもを産まないことにするなど、パニックは深甚だった。

物語では、警報は核戦争の勃発ではなく、原発事故を知らせるものだった。原発事故とABC兵器攻撃の警報が同じだったということは、当時、原発事故は核攻撃と同列にとらえられていたということだ。たしかに、いったん事故が起これば、原発は即座に自国の市民を無差別に攻撃する「敵」へと変身する。

原作発表から20年近くあと、東西冷戦による核戦争の恐怖が去って久しい2006年に、この物語は映画化された。核ミサイルがなくなっても、それと比すべき「内なる敵」はまだ隠然と存在し続けていると警告したかったのだろうか。いったんは原発推進から撤退へと政策の舵を切ったドイツだが、昨今の温暖化ガス問題のあおりで、その姿勢は微妙にゆれている。そうした動きへの危機感も、いまこのとき、映画作家にこの素材をとりあげる気にさせたのかも知れない。

原作には「ヒバクシャ」ということばが出てくる。このことばを生んだこのくにでは、いま原発はどうなっているのだろう。このくにの国土はドイツと同じぐらい、人口はおよそ1倍半、そして発電用原子炉の基数はほぼ3倍だ。映画には、何度か50キロ圏ということばが出てくる。放射性物質による汚染が考えられ、全員避難と封鎖の措置がなされた範囲だ。それは当然、風向きや地形によって厳密な円は描かないだろうが、ひとつの目安として、あなたが住んでいる場所から50キロ以内に原発サイトはないか、確かめてみてほしい。

このくにの原発の現状を考えるとき、映画の邦題に「みえない」がついているのは、「いまのところまだみえない」という意味に思えてくる。それは「いずれみえる」ということだと、心の奥深くでささやく声がして、わたしは秘かにうちのめされる。



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