ウクライナのキエフ市にある「チェルノブイリ・子どもたちの生存」という団体は、プリピャチ市(*1)や原発周辺の町からの避難家族の救援を目的に設立されました。現在、「子ども基金」の里子・奨学生支援の窓口となっています。またイタリアやスペインの救援団体と協力し、避難民の子どもたちを海外で保養させる活動もしています。
団体の代表リュドミラ・ザクレフスカヤさんはプリピャチ市の出身。会計担当のリューバ・フィスノワさんはチェルノブイリ市の出身です。リューバは故郷の町をよく思い出すと言います。「あそこは本当に素晴らしい場所でした。人の手の入っていない本物の自然がありました。森はきのこやベリー類がとても豊富で、川では魚を手掴みで取ることができ、作物は何でもよく育ちました。深くて古い森。声をあげると遠くからこだまがかえってきました。あんな美しい場所は世界中どこを探しても他にはありません。事故当時私の娘は14歳、息子は7歳でした。事故後、原発周辺の住民はキエフ市のトロエシナ地区やハリコフ地区などにまとめて移住させられましたが、私たち家族は夫の仕事の関係で別の地区のアパートに引っ越しました。その地区には私たちの他に避難民はいませんでした。娘は学校で『チェルノブイリ人』と言われ差別され、友だちはできませんでした。大学入学の際、チェルノブイリ出身者にはいくつかの免除がありましたが、娘は避難民であることを隠しました」。
リューバは事故数年後に卵巣の手術を受けました。現在は糖尿病と甲状腺結節があります。夫は重い糖尿病。子どもたちも小さい頃からいろいろな病気に悩まされたそうです。「こんな目に遭った私の年金はたったの80ドル。あんなところに原発を建ててはいけなかった。あそこは沼地で、今でも放射能は地下深くに浸み込んでいるでしょう」故郷の村を懐かしそうに話していた彼女の口調が、そこで急に暗く沈んだものとなりました。
(*1:チェルノブイリ原発から3.5キロのところにある原発労働者とその家族が住んでいた町)
〔里子〕
K・サビーナ 1999年生まれ
ウクライナ スラヴチチ市
生まれてすぐに骨髄ヘルニアの手術。手術後、下肢不全麻痺と骨盤器官の機能障害。現在、関節の上に腫瘍が形成されており再手術が予定されている。
サビーナはスラヴチチ市のアパートで母と2人暮らし。手術後9カ月間入院していた。「手術後の娘は体が動かないように完全に固定されていて、まるで人形のようでした。退院後もしばらくはトイレも一人では行けませんでした。友だちのように走れない、と言って泣いていたこともありました」と母親が話すとサビーナは、「ママ、私は前よりよくなったよね」と母親に笑顔を向けた。実の父親はサビーナの病気のことを知っているが何の援助もしていない。サビーナの背中からおしりにかけて手術の傷跡がくっきりと残っており、今も足をひきずって歩いている。バランスをとるために、外出時には左足の踵が削られた靴を履いている。同じ姿勢が続くと背中に痛みが出てくるという。少しの間ソファに座って話をしていたが、サビーナはすぐに横になってしまった。サビーナは歌が好きで、町のコンクールで入賞したこともあるという。入賞の記念にもらったというCDプレーヤーの音楽に合わせて、母親と一緒に歌を唄ってくれた。手術前は踊りも好きで、幼稚園できれいな民族衣装を着て踊っている写真を見せてくれた。今は踊ることができなくなった。学校に通うことが困難なため、先生が家に来て授業をしている。キエフの腫瘍センターでの手術は公式には無料ということになっているが、実際にはいくつかの薬・看護料等を支払わなければならなかったそうだ。スラヴチチからキエフに行くには体力も交通費も負担が大きい。サビーナはまだ成長途中なので、18歳くらいになったらまた手術が必要になる。
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N・インナ 1989年生まれ
ウクライナ チェルニゴフ州リュベチ村
2005年に白血病と診断され治療を受けた。入院中は治療の影響で髪の毛がほとんど抜けてしまった。現在は肝臓の病気、膝関節の痛み、疲労感などに悩まされている。両親、父方の祖母と3人暮らし。9月からチェルニゴフの大学で教育学を学んでいる。趣味はギター、絵を描くこと、刺繍。インナが18歳になった時、国からのチェルノブイリ障害者補償をすべて取り消された。村に仕事はなく、母は家事や畑仕事をしている。母の両親が近くの村に住んでいて家畜を飼っている。野菜も乳製品も肉も、全部自家製。私たちが帰るとき、庭のりんごや、母親が焼いたお菓子をたくさんおみやげにくれた。
インナの住む村はチェルノブイリ原発のすぐ近くにあるが、事故後住民は一度も避難していないという。救援団体のスタッフに「どうしてこの村の人たちを避難させなかったのだろう」と聞くと、「大きな村で、全員を避難させるのが大変だからそのままにしてしまったのだろう。こんなことは間違っている。けれど放射能に汚染されているのは確かだ。村人がみんな病気になっているのがその証拠だ」と話した。
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〔緊急支援〕
K・ワーニャ 2003年生まれ
ウクライナ キエフ市
左前腕胎生横紋筋肉腫。母はキエフ市生まれ。父はプリピャチ市からの避難民。ワーニャは生後9カ月の時腕に腫瘍がみつかり手術を受けた。「1回目の手術が終わりほっとしていたら、同じ場所にまた腫瘍ができてしまいました。検査を受けたら悪性とわかり昨年10月に再手術となりました。その時は本当に落胆しました。今はまだ化学療法を受けているところです。でもうちの子は早く腫瘍が見つかってよかったと思います。これからは治療をして健康になっていくことだけを考えたいです。夫はもう一人子どもがほしいと言いますが、私は怖くてもう産む気になれません。入院していた腫瘍センターでは生後3カ月の女の子が肝臓の肉腫だったり、前の日は見かけた6歳の脳腫瘍の女の子がその翌日亡くなったりしました。子どもが次々に亡くなっていくのを目の当たりにしてとても恐ろしかったです」
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