2007年8・9月 ウクライナ&ベラルーシ訪問
前半
(ベラルーシ)

― 報告 佐々木 真理 ―


ベラルーシのゴメリ市にある「困難の中の子どもたちへの希望」は、チェルノブイリ障害児を会員に持つ慈善団体です。「子ども基金」の里子・奨学生支援・若い家族支援の窓口となっています。代表のワレンチーナ・ポホモワさんの娘が甲状腺ガンの手術を受けたのがきっかけで、15年前に団体を設立されました。

ワレンチーナさん自身も昨年すい臓の手術を受けました。今も体調がよくありません。「今は若者や大人に甲状腺ガンがでてきています。小さい頃甲状腺ガンの手術を受けた世代は、結婚・出産して子どもをもつようになっていますが私の娘のように出産を思いとどまる女性もいます。一方で小さな子どもたちはさまざまな病気にかかっています。生後数カ月の子どもに悪性腫瘍が発見されるなんて、恐ろしいことです」

〔里子〕

G・ニーナ 1992年生まれ
ベラルーシ ゴメリ州 レチッツァ地区ゴロフコ村

2006年4月に脳腫瘍の手術を受けた。その後今年3月まで治療のため入院。現在も月に1、2度治療のためミンスク市の病院へ行く。治療・薬代は無料だが、村からの交通の便は悪く、交通費も負担になっている。ゴメリ市の病院に行くこともある。16歳の姉と6歳の弟は心臓の定期検査が必要とされている。手術後ニーナは介助がないと一人で歩くことができなくなり、通学できないため先生が家に来て授業をしている。化学療法の影響で髪が抜けてしまい、かつらをかぶっている。他の3人のきょうだいが屈託のない笑顔で飛び回っているのと対照的で、ニーナは座ったまま表情もほとんどなかった。

台所と居間兼寝室だけの家に、子ども4人と両親が暮らしている。トイレは外にあるが浴室はない。家族は菜園で野菜を作っている。庭の井戸から汲んでいる水は黄色く濁っていた。若者は村から出て行ってしまい、ほとんどが老人だという。老人たちが通り沿いのベンチに座り、私たちが車で帰るのを珍しそうに見ていた。



K・パーシャ 2000年生まれ
ベラルーシ ゴメリ州 ブダ・コシリョヴォ市

2003年に右目の悪性腫瘍が発見され、ミンスクの病院で4回の手術と化学療法を受けた。退院後はがりがりに痩せてしまったという。今も月に一度検査に通っている。検査費用は1回で15ドル。以前家族は高濃度汚染地域の村に住んでいて、5年前に避難民のためのアパートに移り住んだ。母親、17歳の姉、15歳の兄と暮らしている。父親はアルコール中毒で4年前から別居している。パーシャの母親は「夫は酒を飲んでこんなことをしていたのです」と床に残るたくさんのタバコの焦げ後を指した。母とパーシャが寝る部屋はベッド以外の家具が何もない。床の敷物も壁紙もなく寒々しい。パーシャの右目の視力はほとんどなく、左目の視力も落ちているという。9月から小学校に通っている。入院していたため幼稚園に通っていなかったので、他の子どもより勉強が遅れがちなことが心配、と母親は話した。パーシャは視力がよくないのにスポーツが得意で自転車も乗るそうだ。

パーシャの家族は高濃度汚染地域の村からブダ・コシェリョヴォ市へ移住したが、市内にも汚染された場所があるという。「ここはとても汚染された場所です」とパホモワが示した草原は、町の中心を出てすぐの場所だった。



S・スタス 1993年生まれ 
ベラルーシ ゴメリ州ジロービン市レトカ村

2005年甲状腺ガンの手術を受けた。チロキシン(ホルモン剤)とカルシウム剤を服用。以前はベラルーシ製のホルモン剤が無料で処方されていたが、カルシウム剤とビタミン剤は購入する必要があった。現在は「困難の中の子どもたちへの希望」からこれらの薬をもらっている(*2)。

サッカーが好きだというスタスは、一見元気な少年に見えるが、今も年に1度ミンスクの病院へ検査に通っている。学校では歴史と地理の勉強が好きだという。部屋に世界地図が張ってあった。村には収入のよい仕事がないため、家族は2人の孤児を預かって収入を得ている。家の裏には菜園が広がり、りんごの木があり、草原では牛が草を食んでいた。「畑仕事がたくさんあります。モーズィリの大学に通っている長女は週末に帰ってくると手伝ってくれますし、スタスも手伝っています。私たちの家も、何年もかけて自分たちで作りました」と母親は話した。

(*2:子ども基金の募金を送ったお金で、現地救援団体が薬を購入しています。表紙の写真をご覧下さい)



B・イリーナ 1985年生まれ
ベラルーシ ゴメリ州レチッツァ市

99年に甲状腺ガンの手術後。現在はチロキシンとカルシウム剤を服用。今年、チェルノブイリ障害者補償としてアパートを得た(*3)。1歳半の息子と2人暮らし。息子には食べ物のアレルギーがあるため頻繁に通院している。夫は家族を捨てて出て行き、何の援助もしていない。イリーナは健康状態がよくないため、就職先を探すのが難しい。また、息子が3歳になり幼稚園に行くまでは働きに出ることができない。収入は国からの障害者年金と里親からの支援金だけ。部屋にはテーブル・ソファ・テレビの他にほとんど物がなくがらんとしている。居間には里親から送られてきた千羽鶴が飾ってあった。何もない部屋の中で、そこだけが暖かく感じられた。

レチッツァ市には甲状腺ガンの手術を受けた若者が多く、すでに結婚し子どもをもつ者もいる。イリーナが住んでいるアパートの向かいの新しいアパートにも、甲状腺手術を受けた若者が最近引っ越してきたという。

(*3:チェルノブイリ障害者補償として国から与えられるアパートは、購入費用・家賃が一般の半額。購入費用は約25年ローンで支払う)


〔若い家族〕

妻ヴェーラ 1984年生まれ
夫ヴォーヴァ 1982年生まれ
ベラルーシ ゴメリ地区ポカリュービチ村

夫婦共に甲状腺ガンの手術を受けており、チェルノブイリ障害者に認定されている。10年前、ヴェーラの家族は高濃度汚染地にあるミリチャ村からポカリュービチ村に移り住んだ。2人は3年前に結婚し、昨年2月に娘が生まれた。ヴェーラは看護婦の仕事をしていた。現在は育児休暇中。ヴォーヴァは手術の時声帯が傷つき、かすれ声になった。「労働能力40%喪失」と認定され正規の仕事に就くことができないため、運送のアルバイトをしている。

集団農場で働くヴェーラの両親と弟と同居している。「娘がヴォーヴァと知り合い、彼が初めてうちに遊びに来た時、私はすぐに彼の首の傷跡に気づきショックを受けました。今はかわいい孫もできましたが、やはり考えてしまいます。どうして同じ甲状腺ガンの相手を選んだのかと。これは神様の悪戯なのかと・・・」そこまで話すとヴェーラの母はこらえきれない様子で泣き出し、そばにいたヴェーラも「お母さん、もうやめて」と涙声になった。




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