安房鴨川でエセ田舎暮らしを実践する

 安房鴨川の房総山地中心部の山林に引っ越したのが2007年の5月連休だったから、10年8月現在で3年と3カ月が経ったことになる。

 ここに住み着くことになったきっかけは、私が50歳になった1994年に、丁度10歳上の田原総一朗さんが還暦を迎えてお祝いの会が開かれて、その会場 で「そうか、俺も後10年で還暦かあ…」としみじみ思うことがあって、それからしばらくして昭和19年の同年生まれである故・藤本敏夫や連合の政治局長 だった鈴木英幸らと語らって19年生まれの知り合いを集めて「一休会」を作ったことだった。その会名には、19年のイチキュウと、「ここらで人生一休み、 還暦後をどうするのか考えてみよう」という意味と、さらには80歳を超えても元気で行きずりの女を庵に引き込んでエロティックな歌などものしていた一休禅 師のようでありたいものだという願望までが折り重なっていた。

 で、その何回目かの飲み会で藤本が、かつて多くの人を惑わせた名演説の口調で、「諸君、還暦は折り返し点にすぎない。そこから先に人生二毛作目が始まる のだ。二毛作と言えば、農である。21世紀の日本は、再び農に帰って行く。農業とは言わない。国民すべからく何らかの程度、農のある暮らしを目指さなけれ ばならない」というようなことを言った。「面白いじゃないか」ということになり、ではまず藤本が「鴨川自然王国」でどんな暮らしをしているのか見に行こう じゃないかと言って、会の有志5〜6人で訪れたのが最初である。

 東京からこれほど近くに、日本の農村の原風景とも言うべき田園が広がっていることにまず驚き、しかし分け入ってみれば田畑は放棄され森林は放置され、村 は高齢者ばかりというその実情に再び驚いて、以後、時折王国に行って泊まりがけで農作業の手伝いや荒れた森林の整備などに取り組むようになる。やがてそれ が「棚田トラスト」会員制度として整備され、田植え・稲刈りを中心に年間を通じて行事日程を組んで多くの人びとが定期的に集まるようになって、私がその世 話人役を引き受けた。その頃からもう私は、還暦を期してこの地に転居して、エセ田舎暮らしというか、「半電脳・半農牧」的生活を探究するのだと決めてい て、そう藤本とも話し合ったりしていた。

 以下に収録したのは、その頃から03年秋にようやく1800坪の荒れ果てた山林を手に入れて、さあこれから開墾しようかという時期までに、土と農と食に ついて考えを巡らせつつ書き綴った文章である。引っ越して以後のことは、最近のブログでも触れているので、ここではそれ以前の移住前史の記録として保存し ておくことにしたい。

●「もう1つの日常」としての安房鴨川
 98年夏から秋にかけての藤本敏夫の皆への問題提起とそれに対する私の返書など。

●里山の研究
 98年秋に「里山とは何か」を少し勉強してまとめたメモ。

●農と言える日本
 99年7月から02年11月まで、63回にわたって約200人の友人・知人に送った通信。

●21世紀・農牧的生活を求めて
 00年5月発刊の『現代農業増刊』への原稿を元に書き加えた私の21世紀宣言。

●人生二毛作開拓記
 よくやく土地を手に入れた03年10月から04年3月にかけての期待と不安の記録。

●十勝渓流塾
 藤本の縁で十勝の馬牧場に通うようになったが、最も頻繁だった00〜04年頃の記録。