昔ばなし教室 昔ばなしをロシア語と日本語で読むにとどまらず、劇に展開したことで日本人の服装・生活にも興味を示し、みなが楽しんでくれた姿が印象に残った。教室では自由なスタイルでと考えていたが、自分たちが正座をしていたので、それを見て子どもたちも正座をしていた。そんな様子を見て、管理のアーラさんが毎日床を丁寧に磨いてくださった。 着付け教室 男の子の参加者が多かったことにも日本の着物への関心の高さを感じた。お互いに着物を着せ合い、帯を結び合うように指導したが最終的には日本人に結んでもらう人が多かった。日本人と接触したい気持ちがあれていると思った。着付けは思いのほか上手にできた。浴衣が30着だけだったため、最終日のおまつりに着られない人も多く、子どもたちの落胆ぶりがわかっただけに残念でならない。東京音頭・炭坑節はどちらも上手に踊れた。はやし言葉(サノヨイヨイ・ヤートッナソレヨイヨイヨイ)を日本語でかけあって一層盛り上がった。 わらべうた教室 易しいと思っていた「茶々つぼ」と「指移し」が意外に難しかったようで最後までさっとできる人は少なかった。反面、難しいと予想していた「十五夜さんの餅つき」は2人組みということもあり、また動作も大きいので覚えやすかったようだ。どの遊びも笑いながらかつ真剣だった。教室の外でも子どもたちが手あそびをしている姿があり、わからなくなると教えてあげた。教室ではやらなかった新しいあそびを披露すると喜び、そのあそびが他の子どもたちにも伝えられ広がっていったことが嬉しい。家や学校などでも広めてくれたらと思う。 全体として いつも子どもたちは熱心に応じてくれた。誠意に対して精一杯応えようとする健気さに心打たれた。スタッフ、通訳、施設の方々の気遣いも嬉しかった。ピンスク市からの付き添いのお母さんが見送って下さった時に、事故当時風下だったことからいまだに発病が続いていること、脊椎が曲がってしまった子どものことなど、「私たちを見捨てないで下さい」と涙ながら訴えていました。胸がつまり、自分に何ができるだろうと課題をもらったようで、さらに考えさせられる帰路でした。 昨年に続いて二度目の参加でした。何人かの子どもたちとは再会を喜び合い、また新しい出会いもたくさんありました。二度目に会った子どもたちは、少しずつおとなになっていました。 ジーマは去年あまり表情がなくいつも一人でいて、話しかけても首を振ったりするだけでした。でも今回、食堂前で再会したとき彼は同じ年頃の友達と一緒で、かわいい笑顔で迎えてくれて、話もちゃんとすることができました。真っ青な空を背景に、ジーマとその友達の笑顔がとてもまぶしく感じられました。 ヴァレリーは去年も今年も私の教室に来てくれました。去年は幼顔のやんちゃ坊主風だったのに、今はすっかり顔も引き締まり背も伸びていました。随分大人になったなあと思っていましたが、クラス分けの前に「どうしても少林寺拳法がやりたいから、絶対にこのクラスに入れて。お願い。」と頼みにきたり、りんごをかじりながら教室に入ってきて付き添いの先生に怒られている様子などはまだ幼く、少し安心したりもしました。 ナターシャは保養中に彼氏をみつけました。彼は去年も今年も私の教室に来ていた、よく知っている男の子でした。二人はいつも硬く手をつなぎ、夜の野外ディスコの時も仲良く踊っていました。彼に「ナターシャは私の妹のような子だから、大切にしてね」と言うと、「わかっている」としっかり答えました。別れのとき、ナターシャは泣きながらいつまでも彼にしがみついていました。彼はナターシャを乗せたバスを走って追いかけて行きました。 「マッサージ教室」の中で、足の裏には内臓と直結するゾーンがあるため足の裏を刺激することは健康に大変よいということを話し、実際のマッサージの仕方を教えました。ある時靴をはかずに外を歩いている女の子がいて、誰かが「どうして裸足なの?」と聞くと、「足の裏のマッサージなの」と答えたそうです。彼女は明るく活発で、とても元気のいい女の子です。でもこの子も自分の健康や体のことを心配しているのだなあ、と思うと同時に、元気そうに見える他の子どもたちも、みんなそういう気持ちなのだと改めて感じました。 Vは、重い荷物を持っていた時、いつ運ぶのを手伝ってくれた優しい男の子です。「将来は何になりたいの?」と聞くと、「医者になりたい。チェルノブイリの子どもの多くは、医者になりたいと思っているんだよ」と答えました。自分や友達や家族の病気を治したいという思いから、子どもたちは医者を目指すのでしょうか。彼のこの話を聞いたとき胸が締め付けられ、泣かないように我慢しました。彼のお姉さんも甲状腺の手術を受けているのです。 去年の日本ウィークの途中で母親を亡くした男の子がいました。子どもたちもひどくショックを受けました。私の教室にも来ていた子なので、ずっと気になっていました。でもその子の元気な姿を今年も「少林寺拳法教室」で見つけたときは、それまで自分の心の中につかえていたものが消えていくようでした。母と妹の三人家族だった彼のその後の生活は、想像もつかないくらい色々な事があったのだろうと思います。でも目の前にいる彼は、穏やかな笑顔の逞しい体の少年になっていました。 「希望21」にいる子どもたちは、みんな明るい笑顔で元気そうに見えます。でもその幼い心で自分や家族や友達の健康をを気遣い、みんなそれぞれ不安や苦しみを抱えています。この子たちがいつも「希望21」にいる時のような笑顔でいられるように、私はもっと何かをしたいと改めて思いました。恐ろしい事故のために何の罪もない子どもたちがこんなつらい思いをしていることや、今もまだ彼らには多くの助けが必要であることをたくさんの人に知ってもらわなければなりません。「希望21」の子どもたちは本当にかわいくて、今もみんなの笑顔が私の頭から離れません。みんなが自分の弟や妹、息子や娘のように感じます。こんなにかわいい子たちが重い病気にかかり、怖い手術に絶え、将来の様々な不安を抱えて生きている。この子たちとその家族にもうこれ以上、悲しみや苦しみを与えないで!ベラルーシの保養所「ナジェージダ(希望)」、ここは子どもたちが希望を失わずに生きていく上で本当に大切な場所なのだと、今回つくづく感じました。みんなが笑顔で希望をもって生きていけるように、微力ながら私のできる限りのことを続けていきたいと思います。 |