「南」に近づくにつれて、子どもたちと会う時が近づくにしたがってだんだん不安が大きくなってきました。なぜなら、保養に来る子どもたちはみな甲状腺の手術をしていて首に傷の跡が残っていてその傷を気にして隠しているとか、いろいろ聞いたりしていたのでどちらかというと暗い感じの子どもたちだろうと思っていたからです。だから、言葉も通じないだろうし、どう接したらいいのかもわからず、“仲良くなれるかなあ”とか、“教室はうまくいくかなあ”とか不安でいっぱいでした。 しかし、「南」に着いて、実際子どもたち(“子どもたち”といっても多くは僕と同じ位の年でしたが)に会ってみると、ほとんどの子どもたちがとても明るく楽しそうで不安は吹っ飛んでしまいました。 そして、広河さんに「今はこんなに明るいけど、ここでは傷あともみんなに見せているけど、1人1人バラバラになってしまうと傷を隠す子もいるし、いつもこんなに明るいわけじゃない。ここだからみんなを信じているからだ」と聞いたので、「みんなに、ここで楽しく過ごして、少しでも元気になって帰って欲しいな」と思うようになりました。 僕たちが担当した柔道教室は、朝7時30分からと早く、希望者のみということで、集まってくれるかどうか心配でしたが、女の子も含め予想以上にたくさんが集まってくれて、とてもうれしかったです。その他のマーブリング“うちわ”や“ヨーヨ”つり、“こま”作り、ペットボトル水ロケットもみんな楽しんでくれていたみたいだったし、ここに来て本当によかったと思いました。 それに、「ネプチューンのまつり」、「さかさまの日」(イースターとクリスマスとお正月を真夏の1日に楽しんでしまう日)「オデッサ旅行」「日本フェスティバル」とお祭りやイベント続きで、僕にとっても毎日が新しく体験することばかりで本当に楽しかった。 この旅を通じて、たくさんのことを経験し、知りました。本でよんだり、人から聞いたりする単なる知識でなく、それ以上のことを体験を通して知りました。僕はこの旅をして本当に良かったと思います。この旅を提供してくれた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。 こんにちは。私は「希望21」であなたと一緒に過ごしたSです。無事にミンスクの家に着きました。 私は1993年に甲状腺ガンの手術をうけ、甲状腺を全部とってしまったのでその年からチロキシンという錠剤を飲んでいて、それは一生続きます。母は子どもの頃から障害者です。チェルノブイリ事故の影響で血圧にも異常があります。父は最近心筋梗塞になり、毎日心臓の薬を飲んでいます。以前はバスの運転手でしたが、今は働けません。 「希望21」であなたたちと過ごしている時はとても幸せでした。どんなふうに着物を着たか、帯をしめたかなど、私はこれからもよく思い出すでしょう。「希望21」であなたたちと別れるときはもちろん泣いてしまいました。 S 昨年チェルノブイリ子ども基金奥羽で保養したナターシャ・C(16歳)からの手紙 「日本ウィーク」は本当に面白くて、私は気に入った色々な教室に行きました。私は、日本の皆さんに再会できて本当にうれしかった。家に帰ってからは、日本の皆さんやベラルーシの友達のことがとても恋しいです。お母さんに皆さんのことを話すと、私が再会できたことをうらやましがりました。それから私は日本の皆さんからもらったおみやげをお母さんに見せました。 私はゴメリの友達とは電話で話したり会ったりしています。ミンスクやゴメリ州の友達とは電話をしたり文通したりしています。 ここゴメリはとても暑くて(30℃〜32℃)、時々小川に行ったりもしますが大体昼間は家にいて、涼しくなった夕方ごろ外に散歩に行くようにしています。 広河さん、そして私を知っている皆さんにくれぐれもよろしくと伝えてください。 ナターシャ その他鈴木由利子さんによる「日本料理・お手前教室」や、引き続きウクライナにも訪問した加藤菊緒さんの「アイヌの小さい網袋(ポン・サラニプ)・おり染め教室」などおこなわれました。またモスクワから参加した大平玲子さんはロシア語通訳と「着物教室」の先生を兼任しました。 乗井達守さん、村形緑さん、加藤菊緒さんの報告は紙面の関係上次号に掲載します。 |