「千代紙教室」 子どもたちに喜んでもらえるだろうか?楽しく教室ができるだろうか?期待と不安を抱えての出発だった。周りはみな経験者ばかりで心強い反面、不安も隠せない。 ベラルーシの美しい景色とさわやかな暑さに迎えられ、ミンスク国際空港から車で2時間、約80キロはなれたところにあるサナトリウム「希望21」は、豊かな自然に囲まれた、設備の整った施設で、ビデオや写真で見る以上に素晴らしいところである。そしてこどもたちは、暑い中ずっとわたしたちの到着を楽しみに待っていてくれた。 5日間の教室で千代紙で作る"わらべ人形"と"和笠"を教えた。折り紙は現地でもよく知られているそうだが、千代紙の模様のおもしろさに子どもたちは関心をもってくれる。20人余りの子どもたちの中にはどんどん先に進んで作りはじめる子ども、なかなかできない子どもなど様々だったが、16歳の男の子も千代紙の人形と笠作りに一生懸命だった。職員のターニャ先生の協力はとても素晴らしく、展示会には子どもたちの見事な作品が並んだ。 また、日頃Fax上でしか知らない現地救援団体の代表の方と直接会い、救援募金が、キチンと子どもたちのために使われていることを確認した。「子どもたちの親がここに来ればどんなに喜んだことか」「里子の両親たちは言葉もないくらい喜んでいる。服や果物が買える」という。また、保養とこの日本週間についても子どもたちがとても満足していることを自分の目で確かめることが出来た。このことをたくさんの支援してくださっているみなさんに伝えたい。 「希望21」で楽しんでいる子どもたち。複雑な思いがよぎる。子どもたちに病気をもたらしたものへのと激しい怒りを感じる。彼ら、彼女らをはじめとした数多くのチェルノブイリ原発事故による被害すべては、「昔おこった遠い国での出来事」ではない。彼らから「普通の生活」や「日常」を奪ったのはいったい何なのか。そしてこれは何時でも私たちの身に降りかかる事でもあるのだ。それはヒロシマ・ナガサキ、そしていまなお52基の原発を抱えている日本という国を自覚するまでもない。 子どもたちの笑顔を決して忘れない。そしてできるだけ多くの人に伝えていきたい。 「南」で過ごした日々 大阪でナタ−シャ・グジーコンサートを主催した高校生2人,大学生2人と一緒に参加しました。 キエフの「家族の救援」の事務所でも「南」でも子どもたちの歌声と笑顔による暖かい歓迎を受け、感激してしまいました。 子どもたちは私よりずっと大きくて、年齢より大人ぽい感じで、少し驚きました。97年に来日し,会ったことのある女の子もいたのですが,大きくなっていて気づかなかったほどです。しかし,中にはお父さんがアルコール中毒で家庭が貧しく,14歳なのに小学1年生程度の発育状態でしかない女の子もいました。(彼女は水着も持ってなく、ネプチューンのお祭りの時も一人でさみしそうに見学していました。その後少しずつ笑顔を見せてくれるようになっていたのですが…)ほとんどの子は見かけは大人ぽくても、中味はまだ無邪気で、本当に気持ちの優しい子どもたちばかりで、すぐに仲良しになれました。 「南」では、青い空と海にかこまれ、太陽の光をいっぱいあび、日本人の私たちも子どもたちと一緒に本当に楽しい日々をすごすことができました。私はいろいろなビーズでブレスレットや指輪などアクセサリーをつくる“ビーズ教室”と日本フェスティバルの“チーズたこ焼き”“お好み焼き”コーナーさらにビンゴ大会での景品としてみんなにプレゼントする“福袋”の準備を担当しました。日本の子どもたちが好きなものを選んだのですが、ウクライナの子どもたちにも楽しんでもらえたようで嬉しかったです。 そんな中、日ごろから子どもたちの世話をしているラリサさんからこんなお話を聞きました。「子どもたちの体が大きくなったからと言って問題がなくなるわけではありません。病気を抱え、将来に対する悩み、特に高校を卒業した後の進学や仕事の悩み(ウクライナでは経済状況がとてもひどく、失業率も30%以上だそうです)、結婚や出産なども含め異性についての悩みは深刻で、これらは幼い時にはなかった問題です。彼らは心身ともにまだ助けを必要としているのです」また、付き添いの医師の方は日本人との懇談会の席で「子どもたちは記憶力の低下、睡眠障害、インポテンツなどの医学的問題をかかえている」ともおっしゃっていました。子どもたちの未来を考えると私たちに何ができるのかあらためて,課題をつきつけられたような気がしました。 子どもたちと名残り惜しい悲しい別れをしたあと,私は比較的汚染の低い汚染地にいきました。誰も住んでいないアパート,笑い声の聞こえないボロボロの学校,これがあの子どもたちの“ふるさと”だと思うとたまらない気持ちになりました。 事故から13年,人々の記憶の中ではチェルノブイリの被害は薄れ,過去のものになろうとしています。しかし,私の出会った子どもたちにとって,また人類の廃棄場にされてしまった村とっての事故は,これからも続く果てしないもののように思われました。 日本に帰って,子どもたちと撮った楽しい旅の写真を見ては,あらためて広河さんの写真集や本を読み返すこのごろです。 |